フリーランスとして活動をしていると、どうしても人と比べてしまうことがあります。
特にわたしは自己肯定感がとても低く、「もう辞めちゃおうかな」と極論に向かうこともこれまで何度かありました。
上がったり下がったり、かれこれ10年以上が経過してますがw
最近は少しずつコントロール出来ております。
むしろ自己肯定感が低いからこそ、ずっと模索し続けてここまで来れたのかなとも最近は感じています。
今回はメンタルケアのお話。決してスピっているわけではございません。
お友達と話すと結構「なんか元気出た」と言ってもらえることが多いので、ネタにしてみたのですw(正直者ですみません)
ぜひゆるーくお付き合いくださいませ。
無駄なプライドを捨てる
最近ようやく自分の中から”プライド”が抜けてきました。
というのも小さい頃からそれなりになんでも出来たタイプ。
「〇〇ちゃん、すごいね」
「〇〇ちゃんなら出来るよね」
「〇〇ちゃんだから出来るんだよ」
という言葉、嫌なくらい聞いてきました。
しかもわたし、結構単純なもので。
そうか、自分ってすごいんだ!
と、つい先日まで本気で思っていました(大した能力も実力もないのに)。
イベント主催していた時もどこかそのイベントを私物化というか、”わたしが作ったイベントなんだ”と周りにも思わせてしまっていたのかもしれません。
自分的にはそんなことは思っていなかったのですが、指摘されたこともありました。
きっと周りに思わせるような雰囲気だったのでしょう。
若さのせいにするつもりはありません。確かに調子に乗ってましたから。
で、なぜ最近フッとそれが抜けたかというと。
主催を抜けて、一人でパン屋を運営し、動画やブログを発信する中で「自分の規模じゃ大したことないわ」と改めて実感したから。
出店している時はどこか「売れっ子になりたい」気持ちがありました。
行列が出来ていたら羨ましいと思うし、たくさんイベントに出ていたら羨ましいと思っていた。
そうやってずっと人と比べていました。
でも本当に自分がやりたいことはというと?
このブログもYouTubeの動画も全てにおいてそこまでゴリゴリ目立ちたいわけではなく、必要な人に必要な情報を届けたい。
これが本音です。
要はこれまではカッコつけていただけ。
「自分は出来る」なんて思っていたから、これまでは全てを独学で学んできました。
言い換えれば”自己流”でやっていた。
注意されたり、指摘されたり、文章を直されたりするが苦手だったから。
でも今は”挑戦者”の気持ちで学びたいと思える。
コミュニケーションが苦手なところだったり、どこかいろんなことを冷めた感じで考えてしまうけれど、それでもちょっと人と関わってみようと思える。
これは今までにない感覚な気がします。
気持ちが楽になったことで感じたことがあります。
「常に挑戦している方が楽しい」
無駄なプライドで自分をギュッと縮めてしまうよりも、興味を持って前を向いている方が断然楽しい。
上には上がいる。
あなたがすごいわけではない。
その人にはその人のいいところがある。
この気持ちを忘れないようにしたいですね。
自分の代わりはいくらでもいる
なかなか厳しい言葉ですね。
この言葉、最近まで受け入れられませんでした。
そんな風に思っていると「わたしがいなきゃダメ」「わたしは唯一無二なの!」なんて勘違いしてしまいます。
そんなプライドがポーンと飛んだ出来事。
やはり“イベント主催から抜けた“タイミングでした。
わたしがいなくても十分回るし、わたしがいても何も変わらない。
わたしがいるよりむしろいい感じになっている。
あれ?逆に邪魔だったかな?なんて思っちゃったり。
イベントがスタートした当初。
自宅のある地域で場所を借りていたので、”わたしが住んでいること”はその場所を借りる1つの条件でした。
これがある意味良くなかったのかもしれません。
場所を変え、メンバーが変わり、いつの間にかわたしはもう単なる役立たず。
というか、スピードに付いていけなくなったのです。
“邪魔しちゃいけない“
こう思い始めて思考が止まってしまった。
そこから1年は所属しましたが、溝は埋まらず。
結局はわたしの経験不足なんですけどね。
ただあの時、あの経験をしなかったらもっと調子に乗っていたことでしょう。
今になって思うんです。
『いつでも代わりがいる中で、いかに自分がやりたいことを見つけられるか。』
そう。
自分が作ったサービスも、自分が作ったパンたちも、自分が作った人のつながりも、代わりを探そうと思えばあるんです。
だからこそ「認められたい」という感覚や「わたしがいなきゃ回らない」という感覚を持っていると辛い。
相手に認められるには相手が必要です。でも相手を変えることは難しい。
自分のペースで大丈夫。
軸を見つけることこそ、代わりのない存在になれるんです。
そんな軸を見つけていきましょう。
大切なものを大切にする
何度もお伝えしていますが、わたしは少し複雑な家庭で育ちました。
大切な時期に、大切な存在がいない。相談したくても連絡すら取れない。
そんな学生時代を過ごしました。
で、最近になって「どうしてこんなに自己肯定出来ないのだろう」と改めて考えてみることに。
最初の項目につながるのですが、小さい頃に妙になんでも出来たこと。
いわゆる器用貧乏。これこそが原因だと判明。
流れはこんな感じです。
誰かを責めたり、何かを責めたりはしませんが、少なくとも「いつも出来る子」であったことがわたしの人生の足枷になっていると常々感じていました。
だから認められようとするし、認められるようにがんばっていた。
ずっと記憶を消していた時期がありました。
さらに奥深く入っていくと「家族」という”安心出来る居場所”がなかったことに気づきます。
まあこれ以上は話しませんが、少なくともニコニコ笑顔で3世代そろってご飯なんて時間はありませんでした。
3世代揃ったら空気がパキーンとして息切れを起こしそうなほどの緊張感。
祖父の部屋に入ろうものならノックして「失礼します」と入室していた。
もちろん祖父には敬語でしたよ。
結婚し、夫の親族との空間に入ったら「ここはこんなに和やかなんだなー」と驚きました。
『こんな空間にしたい』と本気で思った瞬間です。
だからわたしは”家庭優先ではたらきたい”んでしょうね。
それに気づいたのはこの5年くらいです。
それまでは過去と向き合うのが怖くて、どうにか仕事に気持ちを乗せようとしていました。
「ちいさく働きたい」と本心は思っていたのに。
気づかせてくれたのは紛れもなく息子。
少し小学校には苦戦したのですが、何とかがんばって卒業まで通ってくれました。
中学校は環境を変えようと遠方に通っており、今は水を得た魚のように活き活きしています。
「大切なものを大切にする」
その大切なものを探すのが実は大変だったり。
時間をかけてでもいいので、本当に自分が人生を賭けて大切にしたいものを見つけられたら、それだけですでに幸せなのかもしれません。
わたしの座右の銘
最後はわたしの座右の銘を。
「過去と他人は変えられない、自分と未来は変えられる」
人はそれぞれ生まれ育った環境が違います。
”隣の芝生は青い”とはまさにそのことで、どうしても自分の人生だけ辛いような気がしてしまう。
でも過ぎ去った過去、周りにいた人々は変えられません。
誰かを変えるより、自分を変えたほうが断然楽なのです。
自分を変えれば自ずと未来も変わります。
確かに自分の人生において、自分ではどうしようもなかった出来事もありました。
あとはどう捉えるかの問題。
悲劇のヒロインになってみんなに助けてもらう?
経験を反面教師にして幸せを見つける?
わたしは間違いなく後者。
幸運にも大切にしたい家族が出来ました。
それを守りたい。今は一番の生きがいは家族です。
ただ、歳を重ねるにつれ子どもは育つ。いつかは親離れがある。
今は次のやりがいを見つけているのかもしれません。
やりがいの1つがこうやって発信を続けること。
自分と同じ経験をする人はいないかもしれないけれど、これまでしてきた経験を1つの参考にしてもらいたい。
よく「こんなに話して勿体無い」と言われます。お友達とお茶をしても「なんでそこまで教えてくれるの?」と言われます。
なぜなのかは自分でもよく分かりませんが、少なくとも経験を話すことが好きだからでしょう。
周りの人みんなが幸せになって欲しいから。
だって自分と未来は変えられるんですよ。みんなが幸せならきっと世界は幸せです。
そんな風に思うからこそ惜しみなくお話ししています。
何かを感じて、前に向かって動き出す人がいたらいいなと。
今回のまとめ
今回は「わたしの大切にしている考え方」についてモチベーションやメンタルの部分を中心にお話してきました。
最後に内容をまとめておきましょう。
こうやって配信をしていても、ずっと自分に自信はありません。
こんな経験みんなしてるだろうし、誰でも知ってることばかり並べてるじゃんと思っています。
そんな中で自分が出来そうなことは何か。
『自分がした経験を細かくお伝えする』
まるで情景が思い浮かぶようにテンポよくまとめる。
この作業、実はとても好きかもしれません。
小さい頃、認められるために頑張っていた自分をそろそろ供養してあげる時が来たのでしょう。
いろんなエピソード、これからもお伝えしていきますね。